訪問日 2024年9月12日
活動の形態:1級上沢登り / 車 / 単独
装備:サワタビ (ラバー)
感動度:けっこう
所在地:長野県 松本市 三才山
午後の時間を使って松本市内の「中の沢地獄谷」に足を運ぶことにした。
この谷は、女鳥羽川、田川、そして奈良井川へと繋がる水系の一部に位置し、一瞬のゴルジュ滝や柱状節理を楽しめる沢として初級沢として知られている。時間も食糧も限られた状況での挑戦となり、結果的に負荷の蓄積が思わぬアクシデントを招くこととなった。
① 中の沢地獄谷の散策
午後遅めの時間帯から、中の沢地獄谷へと足を運んだ。烏帽子岩入口の案内から川に向かい進むと、ナメが目に飛び込んでくる。
ナメのいい感じ地形に癒されながら、小さな堰堤を越え、次第に谷は伏流帯となる。やがて現れる大きな堰堤は、右岸を巻くことで越えたが、対岸の左岸はなかなか見応えのある立派な地形だった。
最初に出会ったのは4mの斜瀑。
一つの滝でもその姿を目にすると嬉しくなる。
続いて現れたのは階段状の2段瀑で、形の整った美しい滝だった。
さらに進むと、ナメ小滝があり、岩を触って地形を確かめた。
② 谷の充実部
その先には5mのゴルジュ滝が待っていた。
夏なら淵を泳いで直登できるようだが、今回は右岸を巻いて越え、上から眺める。
いい感じの岩風景
その先で1.5m滝
谷は中の沢から地獄谷へと名前を変える。すぐに巨岩帯に15mの連瀑があり、これを慎重に登っていった。
この辺りから体力の消耗が加速し始めた。滝を登り、足場を探す動作の中で、少しずつエネルギーが奪われていくのを感じた。
3mのCSをかわし、美しいナメを進む
8mの斜瀑が現れるが、その姿は滑らか。
体の謎の疲労と、時間に追われる中、一瞬の安らぎを感じさせた。
③ 異変
ここから脱渓を目指し、右岸支流に進むと、すぐに18m滝が見えている。
この滝には接近せず、左岸を高巻いて越えた。
続く階段状の段瀑を抜けると、谷筋の右岸には柱状節理が姿を現した。
これがこの地で最大の見どころであり、思わず足を止めて見入った。
その見事な地形には感動を覚える一方、食糧不足と疲労が重なり、集中力が切れ始めていた。足元の不安定さが増し、一歩一歩の判断が鈍くなるのを感じた。水量が減りつつある3本の滝を越えながら、ばて気味の体で稜線へと繋げていった。
低血糖によるフラつきと頭のぼんやり感が顕著になり始めた。事前に食べた食事のエネルギーは既に消耗しきり、持参したわずかなスポーツキャラメルを舐めることで何とか意識を保つ状態だった。ペースを落としたい気持ちと、迫る夕暮れへの焦りが交錯し、進むたびに精神的な圧迫感が増していく。(この支流の詰めの間に17:00を回った)
なんとかして稜線に到達(17:40前後)。ここでようやく電波を掴んだ。体調の限界を感じつつ、下山を開始した。
④ 急変とアクシデント
しかし、下山を始めて間もなく、遠くの山々から雷鳴が聞こえ始めた。
最初はかすかな音だったが、徐々にその音は近づき、緊張感が増していく。
この時期の松本市は18:00ごろが日没時間となるため、ヘッドライトを装着することになった。
徐々に雨が勢いを増し、ポツポツだった滴が勢いを増し始める。全身が濡れ、足元はぬかるみ始めるが、雷の到着前にと下山ペースは緩められない。
落雷恐怖が募り、急いで下山する中で突如右足首を挫く。
グキッという音とともに通常の可動域を超える曲がり方を経験した。時間がない中、ストレッチなしで活動を開始していたことも大きかったと思う。
この後は雨には打たれたが、雷に打たれず、林道に到達。そこから道を繋いでへとへとの中、車に戻ってくることができた。
当初は興奮状態で痛みを感じなかったものの、辿り着いた車においても、全く食欲がわかず、体調不良と異様な気持ち悪さが続き、限界を迎えた。
行動開始:14:23
行動終了:18:55
⑤ 不快感の正体
普段遭遇しないレベルの不快感にしばらく襲われたため、なんなのか調べてみると一番怪しいのは「下部食道括約筋の機能が一時的に低下」であった。低血糖により極度のストレスや疲労が溜まって、消化器系に影響を及ぼし上記の機能が一時低下したものと考える。
これにより胃酸が逆流しやすくなり、強烈な胸焼けや吐き気、げっぷの症状が現れることも。空腹時であったため、消化不良や胃酸の逆流がより顕著に感じられた可能性もあったようだ。
そもそも入渓時間が遅すぎたと思う。
⑥ 診断と3D画像、足元
翌々日、整形外科を受診。
レントゲンとエコーの結果、前距腓靭帯損傷+おそらく剥離骨折と診断され、添木固定生活が始まった。念の為、CTを撮影したことで、および右腓骨外果裂離骨折の確定診断。得られた3D画像で骨の位置関係や損傷範囲を把握した。
さらに軟部条件のCTも用いて浮腫の範囲を可視化することで、ケガの詳細を解析する機会となった。
※ 黄色が損傷部分の腓骨で赤い小さな2つが剥離した骨片。青が距骨でクリーム色が踵骨。緑は脛骨。白いモヤモヤが浮腫を画像化したもの。
足首の捻挫は癖になりやすい危険性がある。これまで10年間愛用してきた沢足袋のみの運用を見直し、足首への負担軽減を目的にシューズ型の沢靴を新たに購入。今後は沢足袋との併用を考えている。
⑦ 雷雨との遭遇とその背景
今回の雷雨は、長野県全域を覆った豪雨の一環であり、帰路にも影響を及ぼした(あずさ出発は日付を越えてから)。松本駅で車を返却後、再び右足首を挫いてしまい、痛みと悔しさを感じながら帰路についた。
この日の雷雨は2023年7月末の新潟登山(中ノ岐川 滝沢)での雷雨に続き、短期間で2度目の遭遇となった。
2024年9月12日(長野県松本市周辺)の雷雨要因
- 高気温と湿度の組み合わせ
この日は松本市で最高気温33.6℃を記録し、9月にしては残暑が厳しい一日だった。湿度も平均77%と高めで、大気中に多くの水蒸気が含まれていた。このような条件により、雷雨を引き起こす積乱雲の形成に十分なエネルギーを供給したものと考える。一般的に湿度が高い中、地表が日中の太陽熱で温められると、急激な上昇気流が発生する。 - 地形効果
松本市周辺の標高900~1600mの山岳地帯は、湿った空気が山を登ることで上昇気流を強め、雲を急速に発達させる地形的条件になりうる。そのため午後遅くから夕方にかけて雷雨が発生することがある。降水量は37.5mmであるが、全ては夕方16時半以降に集中。
⑧ 腓骨の剥離骨折が起こった背景
1. 準備不足と体の硬直
- 準備運動不足や日常的な運動不足によって筋肉や靭帯が硬直し、関節の可動域が制限されやすくなっていた。柔軟性が欠如していると、足首や膝などの関節に急な負荷がかかった場合、スムーズに対応できず、怪我のリスクが高まってしまう。
2. 沢足袋の使用と足首の不安定性
- そのような状況の中、沢足袋を使用していた。沢足袋は足裏感覚を重視するため、通常の登山靴に比べて足首のサポート力が弱い。足首が不安定な状態で急な動きや不意のねじれが発生すると、足関節を守る靭帯や腓骨に過度な負荷がかかる可能性がある。
3. 低血糖、疲労の蓄積、雷への焦り
- 低血糖の中、疲労が蓄積した状態では、筋肉が反応しづらくなり、通常であれば回避できる動作であっても、衝撃を吸収しきれず、関節や骨に直接負荷がかかってしまったのではないだろうか。また、落雷の接近を感じた焦りによる急な動作も、事故の一因となった。
4. 腓骨の剥離骨折
- 足が「グキッ」と音を立てた際に、足首が内側に過度に捻じれてしまった。この動きによって、足首の外側にある前距腓靭帯(ATFL)に強い負荷がかかり、靭帯が腓骨の付着部から引き離されてしまった。
5. 歩行可能であった理由
- 腓骨は下腿(すね)の外側に位置し、直接的な体重負荷を支える役割は大きくないとのこと。大腿骨や脛骨に比べて負荷が少ないため、腓骨の剥離骨折が起こっても、通常の歩行にはそれほど大きな影響を与えなかったものと考える。
⑨ 今後
今回のアクシデントは、自身の装備や行動計画を見直すきっかけとなった。
体調管理の重要性、雷雨時のリスク回避、足首の保護対策など、学びは多い。
焦らず丁寧に活動することがいかに重要かを改めて実感した機会だった。